自分を見つめる

夢がないのが悩みかもしれない。
所謂ニートかもしれない今。
二十歳くらいまでは漠然と人と関わる仕事をしたいと思っていた。
昨年まで接客業のバイトをしてきた。
ある日ぷつんと何かが壊れた。
きっかけは定かではない。
シフトを入れすぎたとか、上の考えについていけないとか。
些細なことはあったけれど。
少しの間心療内科に通院した。
しかし、私から何か言わないといけなかった。
行く度に増える薬。
親に言うとやはり不自然な顔をされてしまった。
減るのはいいが増えていくのは良くないことは自分でもわかっていた。
そして自分から通院をやめた。
その後原因は定かではないが耳の聞こえが段々悪くなってきた。
このまま聞こえなくなるのかと悩んだが今はだいぶ良くなった。
私には断念したことが沢山ある。
放棄したものも沢山ある。
日記には書けないようなゴミのような人間だと自覚している。
いや、ゴミに失礼ではないかと思ったりもする。
昨年、あることでボランティアとしてシドニー旅行に参加した。
あの時、ぱあっと少しだけれど目の前が明るくなったのを覚えている。
まだ、悪化する前だった。
そして今年もまた旅行に参加することとなった。
今度の行き先はカナダ。
カナダを選んだ理由は特にない。
ただ主催側の最後の事業ということで、親にすすめられ行くことになった。
でも最初は行けないだろうなと思っていた。
封書を送るのだが、ボランティアとして参加するには募集人数が少なく狭き門だった。
私は昨年のシドニー旅行の感想を何故か書けずじまいでいた。
だから感想文も出せないのだから無理だろうと勝手に思っていた。
お盆前に参加が決まったという通知が来た。
とても驚き、親と私が最も今信頼しているであろう人に話した。
「行っても良いのか」と。
「せっかくなのだから行ってきた方が良い」という答えが返ってきた。
体調は相変わらず一喜一憂だ。
また心療内科に行けば病名はつくだろう。
死にたいと思ったり、自分を無くしたいという衝動に駆られたり。
ひどい頭痛や腹痛。
電車に乗るのも大変だった。
冬は殆どの時間を寝て過ごしていたことを覚えている。
でも自分が甘えているのだなと思ったり、もっと何かすれば回復するのだろうと思っていた。
でも病院には行きたくない。
ある人にははっきり鬱だと言われた。
鬱だなんて認めたくなかった。
それは今でもそうだ。
普通って何だろう。異常なのは何処から。
自分は生きていて良いのだろうか。
周りから見れば甘やかされ恵まれている、そんな自分を恥じることが今年に入り増えた。
でも、最近一つの結論に達した。
「自分のできることから始めよう」
今だ、日記にも本音を書けなくて、凄く悩んできた。
でも今回衝動的だがこうしてまとめられて良かったと思っている。
此処の文をいつかどこかに転載したいなと思うのだ。