回航

昨年の冬の始まり。

入院中、面談の終わり。「死なないと約束できますか」臨床心理士が言う。

「できません」
うつむき加減の自分。

PHS?を取り出す、臨床心理士

別室に居た医者が来る。

「荷物まとめて帰ってください」
「今日は遅いから明日でも」

なぜか必死で謝る自分。

「死を利用しているのではないか」
声のトーンが荒がる医者。

私は、泣きながら「すみません」と何度も謝った。


曇って暗い小雨の降る日に思い出すシーンです。


昨年の7月2日から9月7日、10月1日から今年の1月13日まで、入院していました。

色々ありましたが、鮮明に思い出すのはこの事だけです。


もう、この医者と臨床心理士に診て頂いて、一年たちます。

医者は決して患者の前で怒ったことがないと、前記の顛末を話した人から言われたことも記憶に残っています。

治らない病気の人もいるのだからと言われたこともあります。

今はそれについては、家族が病気になり、ひしひしと感じています。

しかし、死にたいと言う気持ちが消えることはありません。

10歳の頃に「もういいかな」と思った私は、この先どう生きていくのか、そして死ぬのか、わからないままです。

昨日は、知っている方が亡くなられました。
その方は、家族の話から、とても頑張り屋で優しい方だと感じていました。
人生は、短いとか長いではなく、きっと「どう生きたか」なのだなと思います。


数日前、警官が「鬱ですみません」と自殺したということを家族から聞き、「私も死のうかな」とボソッと言いました。
「死なない約束したんじゃなかったっけ?」と家族が嘆きました。

ん?家族とは約束していないし、前記した医者や臨床心理士とのことかなと思いました。

もう一度、同じシチュエーションになった時、私は、また「できません」と言うのでしょうか。

そうしたらもう二度と診察はないだろうと考えています。

いつも、通院の日が怖いです。

結局誰にも気を許してはいないのかもしれません。

死にたい気持ちを引きずりながら今日も生きています。

先程似たような文を打ちましたが、消えてしまいました。

そんなことも前よりは気にならなくなりました。

動悸がするので薬を飲みましたが、全く効きません。

忘れられないことは本当に忘れられないと切に思います。